初めまして。雪だるまプロの髭達磨こと、野木です。記念すべきドキュメントコーナー第1回を飾るこの原稿のテーマは、"自主映画制作入門 〜3つのプロセス〜”。自主映画の制作過程を、今までに撮った事の無い人にも理解しやすいよう大まかに説明した内容ですので、気軽に読んでもらえれば幸いです。
プリプロダクションと言うとなんだかハイカラな感じがしますが、早い話が準備です。自主映画制作の過程で何をやっているのか一番分り辛い部分ですが、一番重要な部分です。この段階で作品の9割が決まると言っても過言ではないでしょう。それでは、この過程の具体的な内容について挙げて行きましょう。
映画作りの始まり。自分が何を撮りたいかを発表し、スタッフ・役者を集めます。この段階で自分の撮りたい作品を如何に魅力的に紹介するかがスタッフのモチベーション、作品の規模を決定する上で重要になります。企画がまともに立たないとそもそも映画を撮れないので、如何に自分の撮る映画が面白いかをガシガシアピールしましょう。
言わずもがな、です。これが無いと始まらない。いったいどんな役者が必要か、どんなロケが必要か、どんな機材が必要か、どんな小道具が、等等、あらゆる要素が脚本を基礎に決定されます。企画の段階では完成している必要はありませんが、骨子は出来ていないと人を集めるのは難しいでしょう。また、脚本はただ書けば良いという物ではなく、出来る限り人と話し合って修正していくことが求められます。そうすることで、自分では気付かなかった修正箇所がボロボロ出てくることも良くあります。何処かから原作を持ってくる場合も、原作を映像向きに改変することが必要になります。脚本を書くのは別段敷居の高い行為ではありませんが、作品展開の面白さは脚本に依存するのですから、こだわってこだわりすぎることは無いでしょう。〆切の範囲内でなら。展開に詰まったら誰かとラーメンでも食べながらグダグダ話すと良いかも知れません。意外な活路が広がることも。
友人と書いて「やくしゃ」と読みます。部員だったり友人だったり、コネのあるプロダクションに頼み込んだり、確保の方法は様々です。役柄のイメージに合った人を探すには、人脈の広さがモノを言います。部外の人に出演してもらう場合は、食事代と交通費を出すのが好ましいです。舞台と違い、自主映画の演技では別段遠くの席に見える表情作りも、声量も必要ではありません。表情を皆に見せたければアップで撮影しますし、声はマイクで拾えますから。作風にもよりますが、それらの技術よりもむしろ演技の自然さが要求されます。そんな訳で予め役者に合わせて脚本を書く、いわゆる当て書きも有効です。
ロケーションハンティングの略。ロケ地、つまり撮影に使う場所を探します。地図等で目星を付けていても、絶対に下見に行きましょう。実際にそこに何があるのか、どちらが南か(太陽の向きは非常に重要な要素)、人通りの多さ、近くのトイレの場所、夜間撮影の場合は光源となる街灯等があるか等、確認が必要な項目は多岐に及びます。カメラを持って下見すると、実際に撮影するときのイメージが沸き易いので良いでしょう。あと、撮影に許可が必要な場所もあるので、後々のトラブルを避けるために、きちんと許可を取るのが理想的です。
撮影には人手が必要です。監督、カメラ、音声、照明、その他諸々。これらの役割の分担が非常に重要になってきます。考えなしに割り振ると後で泣きを見るので、人選は慎重に。後で述べますが、カメラマンは特に重要な役職なので、信頼できる人に任せましょう。ただ役職を割り振るだけでなく、撮影をスムーズにするためにスタッフ間のイメージの共有を行います。自分が何を撮っているか把握出来ていないとモチベーションも上げ辛いですし、徹底的に話し合いましょう。打ち合わせが深夜に及ぶことも多々あるので、ラーメン等を食べて精を付けると良いでしょう。
準備段階で一番面倒な作業です。役者、スタッフのスケジュールをすり合わせて撮影日程を決定します。それ以上でもそれ以下でもありませんが、非常に厄介です。脚本等から撮影に必要な日程を算出して、その日程分、役者・メインスタッフが確保できる日を探し、リテイク(撮り直し)やら天候不良やらに備えて予備日を作って……。撮影が長期に及ぶ場合、髪の長さの管理等で役者に負担が掛かるので、スケジュールを管理する人は気をつけましょう。
どの機材を撮影に持って行くかは慎重に考えねばなりません。カメラは当然必要として、その時々でマイク、照明、その他諸々。テープ1本忘れただけで撮影は遅れます。忘れ物がないよう、ちゃんと確認しましょう。台湾バナナはおやつに入ります。
映画を構成するカット(映像の切れ目から切れ目の間の1区間、漫画に喩えるとコマに当たる)の一つ一つについて絵や文で説明を加えたもの。撮影順や構図の指定があるだけでなく、脚本よりも細かく動きの指示が書いてあったり、場合によっては照明の指示まで書き込んであったりします。現場ではこれがスタッフへの指令書になると同時に、自分が何をしたかったかを確認する備忘録になります。現場で混乱しないように、しっかり準備するのが望ましいです。。また、コンテを書く際に現場の動きを詳細にイメージするのが肝要です。いわば、脳内リハーサル。コンテの準備を怠ったが為に現場で混乱する監督は結構多いです。監督が混乱すると現場全体の動きが混乱しますし、作品の出来映えにも響きます。根を詰めて書いていると日付が変わっていたりするので、そんなときはラーメンでも食べてリフレッシュすると良いでしょう。
衣装・小道具の準備やら、それ以前の金策やら、撮影技術の開発やら、上記以外にも準備することはたくさんあります。「現場で何とかなるだろ」という考えが生み出した悲劇は数多くありますが、悲しみの連鎖を断ち切るためにも準備はしっかりしましょう。準備して準備しすぎるということはありません。備えあればリテイク少なし。
制作過程で一番分りやすい部分。実際にカメラを持って外に出て、撮影します。最も手間のかかる過程で、スケジュールの点からやり直しが利かない、あるいは非常に難しいことが多いです。プリプロダクション、ポストプロダクションは時間をかければ何とかなる部分もありますが、撮影は一瞬一瞬の集中力と技術力が物を言います。イレギュラーの起こる確率が結構高く(「ロケハンのときは車なんか止まってなかったのに……」)、臨機応変も要求されます。ほんの数秒のカットを撮るにも、スタッフに全体的な指示を出し、役者には演技指導、カメラの構図を確認、照明に指示を出し、と監督のやる事は結構な量になるので、スタッフは前もって監督のイメージを汲み、現場ではやることを探して自発的に動くことで監督の負担を減らすように心がけましょう。現場でボーっと立っているほど無駄な事は無いです。撮影した素材の出来がピリリとしないと、それがそのまま作品の出来に直結するので、撮影の良し悪しで作品の9割が決まると言っても過言ではないでしょう。なお、撮影は体力と精神 力を大きく消耗するので、ラーメンなど滋養のあるものを食べて気力を保つのが好ましいです。ここでは現場で重要となってくる、スタッフの種類と役割について説明します。
作品全体の責任者。作品制作上の最高意思決定者。夢追い人。プリプロダクションの段階では作品のイメージをスタッフ全員に語り、コンテを書き、ロケを確認し、打ち合わせを重ね、と作品とその制作の具体的なイメージを把握し、人にも伝える事に努めます。撮影に入れば、現場での最高意思決定者として指示を出し、あらゆる質問に答え、カットコールをし、OKかNGかを判断し……と、八面六臂の働きが求められます。監督に必要なのは他人を巧く使うこと、そして作品に関する全ての質問に答えられること。一切自分は動かない監督はイヤですが、些細なことに動き回って大局を見ない監督は現場の進行を遅らせます。巧く他人を使いましょう。監督は最高意思決定者であるからして、現場では裁量の必要な多くの決定が最終的に監督のところに上がってきます。他人に意見を求めることは出来ますが、最終的にその場で判断を下すのは監督です。現場ではじめて出てくる疑問は多く、それに対応するだけで大変ですので、現場に来る前に予想できる問題くらいには前もって対策をしておくことが望ましいです。とにかく、作品を良くする事をひたすらに追求するのが良い監督といえるでしょう。
プロデューサー。監督に指示を出せる人。監督が作品を良くする役職ならば、制作は作品を完成させる役職。作品制作の実務的な部分、例えばロケ、機材、人材の確保、スケジュールの管理等を受け持ちます。現場では撮影の進み具合を常にチェックし、場合によっては監督の尻を引っぱく事も。監督の女房役であり、制作の存在はあらゆる段階で監督の負担を減らし、作品内容に集中させることができます。しかしながら、実際には小規模な作品の場合、制作不在なことが多く、この場合は制作の仕事がそのまま監督に行くことに。みなさん、監督を労わりましょう。
文字通り、脚本を書く人。監督と兼任の場合が大半です。人の意見を聞くこと、締め切りを守ることが求められます。脚本は小説と違い、文学的な要素は特に求められません。如何にレトリックで飾られた脚本でも、撮影段階でレトリックは役に立ちません。映像になることを念頭に書きましょう。例えば、小説の台詞は普通音読を前提に書かれていないので声に出して読むと往々にして違和感を感じます。脚本がこれでは困りますよね。脚本の理想は、読んだ人の頭の中に映像が浮かぶもの。また、脚本は制作上の事情などから往々にして修正を求められます。場合によっては夜なべして脚本を直すことになりますが、そんなときはラーメンでも食べて頑張りましょう。
カメラを回す人。現場で映像を撮る人です。行為としての撮影と混乱しやすいので、以下カメラと表記します。カメラはコンテなり口頭の指示なりに従って、監督の望む構図を取る役です。作品の映像がきちんと“映画”になるか、それとも“ホームビデオ”になるかはカメラの技術とセンスに掛かっています。ここでチープな絵しか撮れないと、作品自体がチープになります。また、一つ一つのカットの絵は良い物が取れても、前後のカットの映像を把握していないとチグハグな印象を与える事になりかねません。こういったことが無いように、監督のイメージする絵を頭の中でしっかり作っておくことが必要で、そのためには監督との綿密な打ち合わせが欠かせません。たまに監督と兼任したがる人がいますが、監督は唯でさえ仕事が多いので兼任は奨められないです。カメラを通してしか演技を見ないのもいただけないですし。映像にこだわりのある監督は出来る限り詳細なイメージを前もってカメラに伝え、現場でもカメラの提示した構図に自分で修正を加える程度にするのが無難でしょう。 カメラをやる人が交代すると結構作品の雰囲気が変わってしまうので、撮影日程を決める際はカメラの予定は重視するべきですし、カメラは自分の仕事に責任を持ってやり通すべきです。
マイクを振る人。音声には同時録音とアフターレコーディングの方法があり、前者は超指向性マイクをブームポール(棒)に取り付けて現場の音を拾い、後者は現場の音は使わずに後で台詞や効果音を一つ一つ録音して、編集で映像に乗せていきます。前者の場合、ヘッドフォンで現場の音を聞きながら必要な音だけを録れるように試行錯誤するのがが肝要です。そのためには普段はマスキング効果(同じ音を聞き続けると慣れてしまってその音を意識しなくなる効果)であまり気にならないような車の音や川の音を認識し、それらを拾わないように、かつ役者の台詞を可能な限り拾うためにカメラに映らない範囲でぎりぎりまで役者にマイクを近づける必要があります。後者の場合、編集担当者から必要な音のリストを渡され、必要な音を録りに駆け回るのが常です。日中は必要な効果音以外のノイズが多いので、この作業は深夜に行われるのが常です。ただ足音を撮るだけでも、地面がアスファルトか土か、靴は硬いか柔らかいか、その他諸々考える要素は目白押しです。音声はカメラと違い、映画を見ているときはあまり意識されない要 素ですが、それは最低限の水準を満たしていればの話。中々に気合の要るポジションなのに、目的は意識されなくなること。なんともはやなんともはや。
照明を管理する人で、通常複数人居ます。築光は、純粋に明るさを足すためと、陰影を作るために必要です。カメラは人間の目よりもはるかに暗さに弱いので、人が薄暗いと感じる環境なら、照明を作らねば何が映ってるんだか分らない事になりかねません。また、明るさが足りている場合でも照明作りは有効です。陰影の無い人の顔は非常に味気なく、平面的に見えます。そんな時、照明を巧く当てて影を出してやると絵が引き締まります。照明の最終的な調整はカメラ越しにどのように被写体が見えているかが分らないとどうしようもないので、カメラマンが指示を出すことが多いです。照明にはランプ、レフ板、バッテリーライト等があり、ライトは大きな電球、レフは光を反射させる銀や白の板状の物、バッテラは強力な懐中電灯といったところです。現場の環境によって必要な機材が変化するので前もって撮影環境を把握していることが好ましいです。
スクリプトを取る人。スクリプトとは、撮影状況のメモのようなもの。どのカットを撮ったかや、役者がかばんを右手で持っていたか左手で持っていたか等の演技に関する事項を記録します。さっきまで左手で持ってた鞄がいつの間にか右手にワープしてる、なんて事がないように、記録係はその手のことに関してちゃんと指摘するべきです。記録は、編集のときにも参考にします。
カメラを手伝う人。通称カメアシ。三脚の設置やレンズ、バッテリーの受け渡し、移動撮影中の周囲の警戒等等。比較的カメラを覗き易いポジションですので、上手い人の助手になるとカメラとしての経験値が結構稼げます。
監督を助ける人です。人手の代名詞。現場でのありとあらゆる細々とした仕事を引き受ける人です。細々とした小道具の設置や移動、役者に脚本や眼鏡を渡したり引き取ったり、などなど。スタッフの多寡によっては照明に回ったりもします。頼まれる前に自分で仕事を探すのが良い助監督。カメラが回っている間はフリーになることが多いので、現場をじっくり見て経験値を稼ぐのにも適してます。決して下っ端じゃないです。たまに助監というか監助(監督助手)の位置に入る人も居ます。下積みなくして映画は出来ません。助監として使われた事の無い人が、助監を上手く使えると思います?
次のポストプロダクションの項目で詳しく述べます。自主映画の場合、監督が兼任する場合が非常に多いです。
撮影が終了した際、我々は良く「これで1割終わった」と言います。映画制作を料理に喩えるなら、撮影が終わった段階は買い物に行って材料を揃えた段階に過ぎません。ばらばらの映像・音声素材を結合させ、一本の連続した作品に仕上げるのが編集作業です。今までの苦労が、この段階で初めて映画としての体裁を取り始めます。現在、うちのサークルではmini-DVカメラを使用しており、編集は全てパソコンで行っています。よって、具体的な編集方法の説明はそのまま編集ソフトの使い方の解説になってしまうので割愛します。編集は個々人で結構やり方が違いますが、以下は私の場合の編集の様子を簡単にまとめたものです。
先ずは、撮影した素材をカメラを経由してパソコンに取り込みます。この際、素材の出来が予想よりも良くて喜ぶこともありますが、その逆は非常に凹みます。最悪、必要のカットを撮り忘れているなんて事もあり、更に凹みます。とりあえずラーメンでも食べて元気を出します。
凹んだ状態から何とか気を取り直し、取り込んだ素材を並べます。まだタイミングは取らず、あくまで全体のカットの過不足を見るに留めます。数回見て、不要なカットがあれば削除し、明らかに絵が足りないところがあれば別のカットの絵を使いまわすなり、新規に撮るなりして補完します。アフレコの場合、この段階で必要な効果音をリストアップし、音声に発注して集めてもらいましょう。ここまでやると作品の完成形が相当見えてきます。この過程は結構単純作業なので、気が付いたら深夜になってることが多いです。ラーメンを食べましょう。
作品によっては必要な過程です。画面の隅にちょっと映った通行人を削除するといった単純なものから、1から合成で絵を作ることまで色々とやります。この過程の、自分で手順を編み出す感覚はなかなか快感ですが、編集ソフトで何が出来て何が出来ないかをきちんと把握していないと二進も三進もいかなくなる事があるので、自身がない場合はソフトの扱いに慣れた人に予め相談しましょう。また、合成というと何でも出来そうなイメージですが、撮影段階で合成に適した素材を撮っておかないと思うように合成できません。合成をする人は撮影前に合成に関してきちんと考えて起きましょう。この過程では、場合によっては映像処理計算に何時間も掛かることがあるので、寝る前や出かける前、ラーメンを食べる前にコンピューターに処理命令を出しておくと良いでしょう。
さて、全ての素材が手に入り、合成も終了しました。次にやるのは、フレーム(ビデオはアバウトに言うと1秒29.97フレームの静止画の集合体です。転じて、編集の際フレームは秒の下のオーダーの時間単位として用いられます。)単位のタイミング取りです。ほんの1/30秒カットが長いか短いかで、映像の印象は結構変わってきます。ちょっと弄っては、やっぱり前のタイミングのほうが良かったか、それとも更に別のタイミングが良いか、試行錯誤。微小な変更を果てしなく繰り返し、作品を完成に近付けていきます。本当に微細な変更の繰り返しになってくると、いくら弄ってもきりが無いですし、何時間もぶっ通しでやっていると何が良くて何が悪いのか分らなくなってきます。そうなったら誰か人を呼んで見てもらうなり、暫く間を空けてから通しで観るなり、ラーメンを食べて心機一転するなりしてから作業に復帰しましょう。
さあ、詰め編が終了しました。おおよそ作品としての体裁は出来上がっています。ここで最後の仕上げをして終了とします。映像の色味や明るさなどを、プロジェクターなりテレビなりに編集中の映像を映しながら微調整していきます。その他音量等の要素も、最終的に上映会で流すときに近い環境でチェックしながら微調整すると良いでしょう。この過程は純粋に好みの問題なので、中々終わりません。ラーメンを食べるとご利益があります。
編集作業に終わりはありません。例えば、100カットから成る短編映画の全てのカットについて、1フレーム伸ばすか短くするかそれともそのままにするかを試すと、300の試行が必要になります。もしも一箇所変更するたびに全編を見直すと、3^100回の試写が必要になります。天文学的ですね。これは極端な話にしても、作品を見返す度に変更点は出てきます。結局、ある程度の妥協が必要になるわけですが、そのために必要なのが〆切。〆切がないと、どの段階で作品を完成として良いか分りません。〆切が来てから三日後くらいが完成宣言をするのに最適です。映画が完成したら、記念にラーメンを食べに行きましょう。
以上、われわれのサークルの自主映画制作の大まかな流れです。あくまでも大まかな流れで、多分に私感も入っていますので、なんとなく雰囲気を感じて頂ければそれで幸いです。上の文を読んで映画作りは面倒臭そうと思った人も居るかもしれませんが、実際にやってみると単調作業が殆ど無いので余り面倒は感じません。何だかんだ言って、楽しいですし。皆を巻き込んで自分の作品を撮るのも、人の作品に関わるのも。あと、3つのプロセス全てで各々のプロセスが全体の9割と言っていますが、心構えの問題です。私は準備段階では準備が、撮影段階では撮影が、編集段階では編集が一番大事だと思って作業しています。映画作りはただの足し算では無く、掛け算の側面もあるので、一つでも0点の過程があると完成した作品も0点になりかねません。だから、全てのプロセスが等しく重要なのです。どうせ撮るなら、いい物を目指したいじゃないですか。
以上、乱文失礼致しました。ラーメンでも食べに行ってきます。